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「子供の頃にやった64」とは隔靴掻痒…否、隔世の感を禁じ得ないところであるが、そう思った方は80年代のアーケードか90年代のスーファミで育ったのだろうか。
全てのゲーマーに当てはまることではないが、長幼問わず「昔のゲームは良かった」という層が少なからずいるのは事実だ。
こういうのは「演歌の法則」(自分が勝手に言っている言葉だが)みたいなもので、自分が一番楽しく感じた時代のモノを“正”とし、それ以降のモノを“邪”とするケースがよくある。
演歌を聞きながら高度経済成長を戦った老人が「今の歌(J-POPやロックなど)は速すぎて何言ってるのか分からん、言葉に意味がない」みたいなことを言うようなものだが、情動を高め、レイヴすることに価値を置いているなら逆に“今の歌”が向いているだろう。
ゲーム界においてよく「懐古」という表現がなされる。
あまり肯定的な意味では使われない。
そして自分は常に「新しい価値を求めていく」タイプだが、だからといって「懐古」に対して、それを“邪”とは思っていない。
本人がそれで幸せなら全くいいと思うし、演歌を愛する老人に幅を持たせるためにJ-POPやロックを聞かせる意味もない。
古代中国の荘子や近世日本の良寛は“想像の世界に留まって遊ぶ”ことを良しとして、現実をひたすらフォローイングしていくことを惨めなものとしたし、そういった生き方もあるのだ。(※逃避ではなく、逍遥)
もちろん、そういう生き方はその人にとっての“正”であり、我々一般的視点からは“正”とも“邪”とも一元的には決められないのだ。
だから、今回のゲームの意見に対しても「他にもいいゲームはいっぱいある」という反応もあるが、自分にとってはあまり意味のあることには思えない。
もっとも、今後「ゲームそのものの価値が崩壊」してしまえば、全員が強制的に“その直前まで”で止まってしまう事になるので、こればかりはそうならないことを祈りたい。
最近のコンプガチャ問題などを見ていると、それを感じずにはいられないのだ。"
「子供の頃にやった64」とは隔靴掻痒…否、隔世の感を禁じ得ないところであるが、そう思った方は80年代のアーケードか90年代のスーファミで育ったのだろうか。
全てのゲーマーに当てはまることではないが、長幼問わず「昔のゲームは良かった」という層が少なからずいるのは事実だ。
こういうのは「演歌の法則」(自分が勝手に言っている言葉だが)みたいなもので、自分が一番楽しく感じた時代のモノを“正”とし、それ以降のモノを“邪”とするケースがよくある。
演歌を聞きながら高度経済成長を戦った老人が「今の歌(J-POPやロックなど)は速すぎて何言ってるのか分からん、言葉に意味がない」みたいなことを言うようなものだが、情動を高め、レイヴすることに価値を置いているなら逆に“今の歌”が向いているだろう。
∞・∞・∞・∞・∞
ゲーム界においてよく「懐古」という表現がなされる。
あまり肯定的な意味では使われない。
そして自分は常に「新しい価値を求めていく」タイプだが、だからといって「懐古」に対して、それを“邪”とは思っていない。
本人がそれで幸せなら全くいいと思うし、演歌を愛する老人に幅を持たせるためにJ-POPやロックを聞かせる意味もない。
古代中国の荘子や近世日本の良寛は“想像の世界に留まって遊ぶ”ことを良しとして、現実をひたすらフォローイングしていくことを惨めなものとしたし、そういった生き方もあるのだ。(※逃避ではなく、逍遥)
もちろん、そういう生き方はその人にとっての“正”であり、我々一般的視点からは“正”とも“邪”とも一元的には決められないのだ。
だから、今回のゲームの意見に対しても「他にもいいゲームはいっぱいある」という反応もあるが、自分にとってはあまり意味のあることには思えない。
∞・∞・∞・∞・∞
もっとも、今後「ゲームそのものの価値が崩壊」してしまえば、全員が強制的に“その直前まで”で止まってしまう事になるので、こればかりはそうならないことを祈りたい。
最近のコンプガチャ問題などを見ていると、それを感じずにはいられないのだ。"
— 中野龍三プロゲーマーWEB ~ゲームニュース&日記~ (via petapeta)
(fumi-tanoから)